2015年11月20日金曜日

“プロのライター”になりたい人へ。 後篇



「ライター」が“職人”であるならば、一方、「作家」とは?

「作家」も「ライター」同様に、時代とともに変化しているし、広義に解釈できる職種。その人が書いているものの種類(小説、エッセイ、実用書、自己啓発本……etc)と質にもよりますが、私にとって「作家」は“アーティスト”に近いお仕事です。

 優れた作家は、文章技術も備えていますが、それは必須ではない。極端なことを言えば、文章技術はなくとも、独自の文体とか、その人ならではの視点や発想や思考や経験があればいい。ただし、作品にあらわれる人間味や世界観が読み手にとって魅力的なものであることが不可欠です。
 「作家」という職業は、本人がどれほど望んでも、市場に求められなければ成り立たないし、1度、ブレイクしても継続するのは、修羅の道。そもそも、自分にしか書けない作品を書くことは、多かれ少なかれ、心身を削ること、何より覚悟がいることですから。

 ある大御所作家が、メディア出演が中心の作家を評して「あの程度の本を2~3冊出したからと言って、“作家”を名乗るな!」という怒りを噴出させていたのを目の当たりにしたことがあります。「作品」を生むことに全精力をかけているからこそ、スタンスの違う人を受け入れがたいのでしょう。気持ちは理解できます。

 でも、作家業だけで食べていける人は、ごくわずかですからね!

「ライター」は、その人の能力と意欲にほぼ比例して稼げる仕事だと思いますが、「作家」は違う。優れた作家や素晴らしい作品が必ずしも売れるとは限りません。

 だから、私的な見解としては、執筆一筋であろうと、その他の活動が多かろうと、兼業であろうと、「作品」で勝負している人は「作家」だと思う。
 たしかに、創作よりもメディア出演や講演活動が中心の人は、「作家」というより、「タレント作家」という呼称のほうがふさわしいかもしれない。でも、寡作でも良質な作品を生み続けているなら「作家」。文才だけではなく、タレント性とかトーク力とかビジネスセンスとか、総合力で勝負するのが向いている人だから、そうしてるのだと思う。メディアの在り方を考えると、今後はこちらのほうが主流かもしれません。

 ただ、「タレント作家」も存在を求められなければ成り立たない。第一線で活躍している方々は、総合力が高いのはもちろん、かなり努力もしている。表舞台に出て活躍するというのは、それはそれで心身を削る作業。得るものも多いけど、失うものも少なくないはずですから。

 まとめます。

「ライター」になりたいといいつつも、実際は自分の本を出したり、講演する人になりたいなら、ゼロから「ライター」見習いをやるのはかなり遠回りだし、確率も低い。それよりも、自分の好きな「作家」、あるいは「タレント作家」の在り方とか、生き方を真似てみるほうがいいと思います。


 具体的には、もちろん、まっさきに「作品」を作ることです。
 
 それを、SNSやブログなど公共の場でどんどん発信する。日常を綴るブログとかではなくて、「これが私の削った身の証!」くらいのモノ――エッセイでもコラムでも評論でも実用でも漫画でも写真でもいいから、自分の作品を発表して、注目を集めるのが近道というより、王道なのかなと。

 ここ数年、ゼロ地点から注目を集めて活躍しているクリエイターは、この道を通った人がほとんどです。当然、それも確率は低いです。でも、高名な識者たちが審査委員をつとめる文芸賞に応募するよりは、いくぶん、確率が高いかもしれません。

 このご時世、ツイッターのフォロワー数やFacebookの「イイね!」を増やすことは、まったく無意味なことだとは思わないけれど、結局は、「作品」なくしては、「作家」にも「タレント作家」にもなれないですから。
 
 そして、作家であろうとなかろうと「作品」を生むには、とにかく机に1人で向かって書きあげるしかないんですよね。
(コレは、自著やエッセイの依頼となると、嬉しくも気負って執筆が滞りがちな自分にも自戒をこめて!

 以上、「ライター」と「作家」の違いと、それぞれの職につくための方法について、私的な見解をのべてみました。

 一方、さまざまな可能性が広がっている時代、モノカキの職種を分類することも、方法論を述べることも、それほど意味がない気もしてしまう。

「ライター」も「作家」も人それぞれ、思考も歩みも個性もまったく違いますから。

 事実、私自身も書き手としてはわりと変わった経路を歩んできたし、歩んでいる。

 そもそも、私は「ライターになりたい」と思ったことも、「作家になりたい」と思ったこともありませんでした。子供の頃から「文章を書く仕事がしたい」と思い続けて、最初に不思議なご縁があったのが、雑誌の世界だったんですよね……。

 もしかして、こういう個人的な経験を振り返って見出したことを述べたほうが、これから書く仕事につきたい人にとっては、役立つ情報になるのかな?

 ふとそう思ったら、いろんなことが浮かんできました。

 折をみて、改めて考えてみたいと思います。そして、何かしら見いだせたら、ここでシェアしますね。

2015年11月18日水曜日

“プロのライター”になりたい人へ 前篇



 いつのまにか、私、18年間もライターをやっていました。

だからなのか、「どうやったら、ライターになれますか?」という質問を1年に3回くらいはうけます。


つい先日も、ほぼ同時に2人から質問を受けたので、ブログに書いてみようと思います。



質問者の中でも、本気でライター業で食べて行きたい人はおそらく半分に満たないとは思いますが、最近はまず、「どういうライターになりたいですか?」と聞いてみます。

数年前、まだ出版社に人を育てる体力があった頃は、「とにかく一度は現場を経験したほうがいい」と考え、何人かのライター志願者をアシスタントとして編集部に紹介しましたが、1人も巧く行きませんでした。


前職は文芸の編集者という女子もいたのですが、ライターとしては全然書けなかった。
「短い文章でも雑誌の水準に達するものが書けない。雑用をまかせたらすぐに辞めた」などと、紹介した編集部には、毎回、同じような文句を言われる始末。
そのうち、出版社はどこも「ライターは経験者しか使わない」というように。

 WEBを中心にメディアも増えて、あらゆる媒体から「ライターが足りていない」と聞くのに、ライター志願者がなかなかライターになれないとはどういうこと?


才能とか経験は抜きにして、何かしら他に理由があるはず。
 
しばし、考えてみました。

 ひとつは、発注側が求める「ライター」と志願者が思い描く「ライター」のイメージが
かけ離れているからだと気付きました。

よくよく話を聞けば、「ライターになりたい」人の大半は、自分の名前で本を出したり、メディアに露出したり、講演会をするような人になりたいと言います。

それは、「ライター」というよりは、「作家」のお仕事です。

“個人がメディア”として機能している時代。
「ライター」という職業の可能性は広がっているし、受け手(読者)にとっては、
「ライター」と「作家」の境界線はあまりないのかもしれません。

「ライター」として自分の連載をもち、著作を出版して、メディアに出演している人もたくさんいます。
 有名どころでは、吉田豪さん、速水健朗さん、武田砂鉄さんとか。
 活動範囲だけでいえば、いちおう、私もそうです


 でも、それは興味にまかせ、求めに応じた結果として、次第に、そうなっていっただけの話。

基本的には「ライター」と「作家」はまったく異なる能力を必要とする、別個な仕事だと私は認識しています。

「ライター」は、文章力と取材力という技術をもって記事を生み出す“職人”です。
作文と取材に関してはハイレベルな技術を備えているし、加えて、音楽や映画など何かしら深い専門知識をもっている人も多い。
さまざまな場へ行き、不特定多数の人に会う機会も多いので、バランス感覚やコミュニケーション能力が優れていることも求められます。



あくまで、「優秀なライター」の話。



実際は私もふくめ、現役ライターでも、すべてを備えている人はそういません。
だから、これらを備えていれば、時代とメディアが変化しても、コネや繋がりが一切なくても、絶対に売れっこになれます。

カメラマンやヘアメイクと違って、ライターは名乗れば誰でもなれてしまう。
でも、ほんとうは技術職です。
技術と知識が無ければ、お話にならないし、仕事はこない。
逆に、素晴らしい技術(と少しの営業力があれば)、長らく食べていけます。

ようするに、プロのライターとは、シンプルに技術と知識で食べていける人だと思う。


だから、私は「ライター」として高度で面白い仕事をいただけると誇らしく感じるし、本物の“職人”として、素晴らしい技術と知識と経験をもっているライターの先輩方を尊敬してやみません。

でも、ライター志願者の方々が目指しているのは、そういう職人的な「プロのライター」?


もし本気で、プロのライターを目指すならば、方法はシンプルです。


私が18年前にライターを始めた頃と同じように、雑誌でもWEB媒体でも「どんなに小さな記事でもいいから」と願い出て、とにかく書かせてもらうこと。
「安くていいし、何でもやる」という志願者への門戸はいまだ開かれているはずです。


SNSやブログで自己アピールする必要なんて全然ない。

主観で綴るブログと媒体で書く文章は根本的に異なるもの。
だから、実地で文章力を鍛えながら、実績を積み重ねるしかないんですよね。
最初は全然お金にならないし、地道で地味な作業の繰り返し。
でも、プロのライターになる“わらしべのワラ”はそれしかないです。

一方、もし、「作家」になりたいならば? 
あるいは、「作家的なライター」になりたいならば、また別な能力と努力が必要だし、もっと効率のいい方法があると思います。


(後篇に続く)